先般精神科に入院した女性利用者のことについて、その病院の職員から3回連絡が入った。

まず、一緒な病棟にその人の姉も患者として入っており、共依存の関係にあっていけない(部屋は別だが、食事時や休憩時)。利用者の転院を考えることはできるか。~様子見とする。
次いで、夜間尿失禁をするが、昼用の失禁パッドを夜にも使っているのであふれてしまう。~明日・明後日あたり、週に1回の訪問日なので、その時による用を持っていきます。
最後は、ものを投げたりするので相部屋から独居部屋に移送しました。~夕方私のいない時間帯に電話があった。

とりあえず。
いまの状況では転院もやむを得ないかなと感じている。

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他の福祉歴の浅い職員は、うちに戻るのは無理だわ、などと突き放している。
しかし大切なのは、利用者ご本人が、これからどのような人生を送っていきたいか。知的と精神の合併である。
共同生活援助と就労継続支援B型を私どもの法人で利用しているが、前者(いわゆるグループ ホーム)が世話人常駐ではなく、リスクを感じるところもある。
さらに。中軽度知的障害ならば福祉の素人でも人権意識をもってやればなんとかいけるが、職員内の会話で利用者を呼び捨てにする法人だからなあ。
さらに精神疾患に対する知識も支援経験もまったくもってないと言い切れる集団である。

その利用者にとってうちの法人に戻ってくることが、ご本人のためを思うと、決して良い選択ではないと薄々思っている。

それにしても相談支援事業所の動きが悪い。

障害のある利用者の気持ちや希望に寄り添い、より良い選択肢へ進めるよう、お互いが笑顔になれるよう前を見据えて支援していく。
こんな至極まっとうなことがなぜできないのだろうか?

ちょっとこれは担当者任せにはできないので「私も噛む、関係者会議に」。

熱く語ってしまった。

個人的にいまの厚生労働省がどうであれ、縦割りに横串をさした「我が事・丸ごと」という言葉は好きである。
以前も書いたが、歳をとってから民生委員や保護司をやってもいい。
子ども食堂は、眠剤の関係で早く寝なければならず無理か。

プロテスタントの大学に通った。「福音」とは「よろこびの知らせ」という意味であるということを、卒業してずいぶん経った今でも覚えている。
では「福祉」は? 「福」も「祉」も同じような意味である。喜びとか幸せとか。

福祉に携わっている皆様、この仕事はサービス利用者にとって「しあわせ」+「しあわせ」なんですよね。字面からいうと。


「地域共生社会」という言い方がある。確かにそうなればよいのだが……。